今のJ-POPシーンにおいて、欠かすことのできない存在となったOfficial髭男dism。キャッチーなメロディと緻密なサウンド構成で多くのファンを魅了していますが、彼らがどのようにして誕生したのか、そのルーツをご存知でしょうか。
「ヒゲダン」の愛称で親しまれる彼らは、島根県で結成され、地道な下積み時代を経てスターダムにのし上がりました。特にボーカルの藤原聡さんが銀行員として働いていたエピソードは、ファンの間でも有名です。
この記事では、Official髭男dismの島根での結成秘話や、過酷だった下積み時代の裏側、そして彼らの音楽性に影響を与えたルーツについて詳しく解説します。彼らの音楽がなぜこれほどまでに心に響くのか、その理由がきっと見えてくるはずです。
Official髭男dismの島根での結成エピソードとバンド名の由来

Official髭男dismの物語は、島根県という静かな地から始まりました。メンバー全員が中国地方の出身であり、特に島根はバンドが形作られた聖地とも言える場所です。ここでは、彼らがどのように出会い、なぜあの独特なバンド名が付けられたのかを詳しく見ていきましょう。
島根大学の軽音楽部で出会った仲間たち
バンドの核となるメンバーのうち、藤原聡さん、楢﨑誠さん、松浦匡希さんの3人は島根大学の軽音楽部で出会いました。藤原さんはもともとドラムを叩いていましたが、この部活動を通じてピアノを弾きながら歌うスタイルを確立していくことになります。
当時の彼らは、コピーバンドを組みながら地元のライブハウスで腕を磨いていました。同じ部活の先輩・後輩という関係性が、今の彼らの息の合ったチームワークや、家族のような温かい空気感の土台となっています。大学時代の自由な雰囲気の中で、彼らは音楽の基礎を徹底的に叩き込みました。
大学時代の部活動という極めて日常的な場所から、日本を代表するバンドが誕生したというのは、非常に夢のある話です。当時の彼らは、まさか自分たちが武道館や紅白歌合戦のステージに立つとは、想像もしていなかったかもしれません。
「髭の似合う年になっても」名前に込められた願い
「Official髭男dism」というインパクトのあるバンド名は、一度聞いたら忘れられません。この名前の名付け親はベースの楢﨑誠さんです。一見すると「メンバー全員が髭を生やしているのか?」と思われがちですが、実はそうではありません。
この名前には、「髭の似合うような歳になっても、誰もがワクワクするような音楽をこのメンバーでずっと続けていきたい」という願いが込められています。見た目のインパクトだけでなく、音楽に対する誠実な姿勢と、末永く活動していきたいという強い意志が反映されています。
「Official」という言葉については、特に深い意味はなく、「単にロゴにした時に格好良かったから」という理由で付けられたそうです。この適度な「遊び心」と「真面目な目標」のバランスこそが、彼ららしさと言えるでしょう。
ギターの小笹大輔さんとの運命的な出会い
メンバーの中で唯一、別の学校に通っていたのがギターの小笹大輔さんです。小笹さんは松江工業高等専門学校に通っており、地元のライブハウスで活動していました。藤原さんとは、ライブイベントで対バン(共演)したことがきっかけで知り合いました。
藤原さんは小笹さんのギタープレイに惚れ込み、バンド結成の際に熱烈なアプローチを送ったと言われています。小笹さんもまた、藤原さんの作る楽曲のクオリティに驚かされ、加入を決意しました。こうして、島根の地で最強の4人が揃うことになったのです。
当時の小笹さんはまだ10代でしたが、その技術は群を抜いていました。藤原さんは「大輔がいなければ今のサウンドは作れなかった」と後に語っており、学校の枠を越えた音楽的な繋がりが、バンドの運命を大きく変えたことが分かります。
下積み時代を支えた藤原聡さんの「銀行員」としての二足のわらじ

Official髭男dismを語る上で避けて通れないのが、ボーカル藤原聡さんのサラリーマン時代のエピソードです。プロデビューを目指しながら、彼は島根県内の地方銀行で働いていました。この経験は、彼の書く歌詞の世界観に大きな影響を与えています。
営業マンとして島根県内を駆け回った2年間
大学卒業後、藤原さんは島根銀行に就職し、営業職として勤務していました。スーツを着て、毎日顧客の元へ足を運ぶ日々を送っていたのです。意外にも藤原さんは営業成績が良く、真面目な勤務態度で周囲からの信頼も厚かったと言われています。
銀行員としての仕事は決して楽なものではなく、ノルマや対人関係の悩みもあったはずです。しかし、この時期に経験した「組織の中で働く苦労」や「社会の厳しさ」が、後に多くの共感を生む名曲たちのスパイスとなりました。
「普通の生活を送る人々の気持ち」を誰よりも理解しているからこそ、彼の言葉は私たちの日常に寄り添い、深く突き刺さるのです。彼は単なるアーティストではなく、かつて私たちと同じように社会で戦っていた一人の青年でもありました。
仕事が終わってから東京へ向かう過酷なスケジュール
銀行員としての勤務とバンド活動を並行させていた時期、そのスケジュールは壮絶を極めていました。平日は銀行員としてフルタイムで働き、定時を過ぎるとすぐに練習やライブの準備に取り掛かるという生活です。
週末になると、島根から車を運転して東京までライブをしに行くこともありました。金曜日の夜に出発し、土日に東京でライブを行い、月曜日の朝には何食わぬ顔で銀行のデスクに座っている。そんな生活を約2年間も続けていたのです。
島根から東京までは片道で約800キロ以上あります。この距離をメンバー自身が運転して移動していたというエピソードからは、音楽にかける執念とも呼べるほどの情熱が伝わってきます。
社会人経験が歌詞やバンド運営に与えたメリット
藤原さんは「銀行員を経験して本当に良かった」と振り返ることが多いです。それは単に苦労したからではなく、社会人としてのビジネスマナーや金銭感覚、そして組織運営の考え方がバンド活動にも活かされているからです。
例えば、メジャーデビュー後のプロモーションやスタッフとのやり取りにおいても、社会人経験があることでスムーズに進む面があったそうです。また、銀行員時代に培った「相手が何を求めているか」を察する能力は、楽曲制作における視点にも繋がっています。
下積み時代の苦労は、決して無駄な時間ではなく、最強の武器を手に入れるための修業期間だったと言えるでしょう。彼の書く歌詞にリアリティがあるのは、実社会での泥臭い経験に基づいているからに他なりません。
メンバーの異色な経歴とそれぞれの修行時代

藤原さんの銀行員エピソードが有名ですが、他のメンバーもまた個性的な経歴を持っています。それぞれが島根周辺で異なる環境に身を置きながら、音楽への情熱を絶やさずにいました。ここでは、メンバーそれぞれの歩みにスポットを当てます。
警察音楽隊で嘱託職員として活動した楢﨑誠さん
ベースの楢﨑誠さんは、大学卒業後に島根県警察音楽隊の嘱託職員として活動していました。警察音楽隊とは、警察の行事や地域のイベントなどで演奏を行う団体です。楢﨑さんはここでサックスを演奏し、音楽で社会に貢献する日々を送っていました。
警察という非常に規律の厳しい環境で音楽を続けていた経験は、彼の演奏に対するストイックさや、誠実な人柄に影響を与えています。また、サックスも堪能であるという彼のマルチな才能は、ヒゲダンの楽曲に深みを与える重要な要素となっています。
剣道に打ち込み精神を鍛えた松浦匡希さん
ドラムの松浦匡希さんは、中学・高校時代に剣道に打ち込んでいた武道派でもあります。剣道で培われた集中力や瞬発力、そして精神的な粘り強さは、バンドの土台を支えるドラマーとしての資質に直結しています。
松浦さんのドラミングは非常に安定感があり、力強さと繊細さを兼ね備えています。それは、厳しい稽古を通じて自分自身と向き合ってきた経験があるからこそ成せる業でしょう。派手なパフォーマンスだけでなく、着実にビートを刻む彼の姿勢はメンバーからも厚い信頼を得ています。
「音楽も剣道も、基本の積み重ねが重要である」という考え方が、彼の中には根付いています。下積み時代の不安定な時期も、彼が精神的な支柱としてメンバーを支えていた場面も多かったのではないでしょうか。
唯一の年下メンバーであり技術を磨いた小笹大輔さん
ギターの小笹大輔さんは、メンバーの中で最も若く、結成当時はまだ学生でした。しかし、そのギターの腕前は当時から地元で有名であり、「ギターヒーロー」としての素質を十分に備えていました。
彼は年上のメンバーたちに囲まれながらも、物怖じすることなく自分の意見を主張し、サウンドの構築に貢献してきました。高専(高等専門学校)に通っていたこともあり、論理的な思考で音楽を捉える側面も持っています。
小笹さんは、ジャズやヘヴィメタルなど幅広いジャンルの音楽に精通しており、その引き出しの多さがヒゲダンの楽曲をカラフルに彩っています。下積み時代に誰よりも練習し、自分にしか出せない音を追求し続けた努力が、今の華やかなギターソロに結実しています。
島根から全国区へ!ライブハウスでの地道な活動と転機

Official髭男dismの快進撃は、最初から約束されていたわけではありません。島根という、決して音楽シーンが盛んとは言えない場所からスタートし、彼らは少しずつ活動の輪を広げていきました。その過程には、泥臭い努力の積み重ねがありました。
拠点となったライブハウス「松江B1」での日々
彼らが拠点としていたのは、松江市にある「松江B1」というライブハウスです。ここで彼らは何度もライブを行い、地元ファンの支持を集めていきました。当時のライブは、観客が数人しかいないことも珍しくなかったと言います。
しかし、観客の数に関わらず、彼らは常に全力のパフォーマンスを披露していました。「どうすれば目の前のお客さんを喜ばせることができるか」を常に考え抜き、MCや曲順、パフォーマンスの細部にまでこだわりました。
小さなライブハウスでの試行錯誤が、後にアリーナやドームといった大きな会場を沸かせるためのノウハウとなったのです。現場で叩き上げられたライブパフォーマンスこそが、彼らの最大の強みと言えます。
遠征費を捻出するために続けた節約と工夫
地方バンドにとって最大の壁は、都市部への遠征費です。島根から東京や大阪へ遠征するには、多額の交通費や宿泊費がかかります。当時はまだ自費での活動だったため、メンバーは食費を削り、車中泊を繰り返しながら遠征を続けていました。
機材車に全員で乗り込み、交代で運転をしながら高速道路を走る。そんな過酷な移動の中でも、彼らは車内で音楽を聴き、新しい曲のアイデアを出し合っていたそうです。苦しい状況を楽しみながら乗り越える、彼らのポジティブな絆が深まった時期でもあります。
| 当時の主な移動手段 | 宿泊方法 | 主な活動内容 |
|---|---|---|
| 自家用車のバン | 車中泊、安宿 | 地方ライブ、ビラ配り |
プロデューサーとの出会いと「Love to Peace ha Kimi no Naka」
地道な活動を続けていた彼らに転機が訪れます。自主制作の音源が音楽業界関係者の目に留まり、ミニアルバム「Love to Peace ha Kimi no Naka」でインディーズデビューが決まったのです。このアルバムは、彼らのポップセンスが凝縮された名盤として高く評価されました。
特にリード曲の「恋の前ならえ」などは、当時のフレッシュさと音楽的な完成度の高さが同居しており、早耳の音楽ファンやラジオ局のディレクターたちから熱い視線を浴びることになります。島根の小さな光が、全国に届き始めた瞬間でした。
「良い音楽を作っていれば、どこにいても必ず見つけてもらえる」という信念を、彼らは証明してみせたのです。このデビューがきっかけとなり、彼らの環境は劇的に変化していくことになります。
彼らの音楽性に多大な影響を与えたルーツと「ヒゲダン・サウンド」の正体

Official髭男dismの楽曲は、単に「キャッチーなポップス」という言葉では片付けられません。その根底には、古今東西の様々な音楽ジャンルへの深い造詣とリスペクトがあります。彼らのサウンドの秘密を探っていきましょう。
藤原さんが傾倒したアース・ウィンド・アンド・ファイアー
藤原聡さんの音楽的なバックボーンとして最も有名なのが、1970年代から80年代にかけて活躍したアメリカのファンク・グループ「アース・ウィンド・アンド・ファイアー(EW&F)」です。彼らの華やかなブラスセクションや、心地よいグルーヴ感は、ヒゲダンの楽曲に色濃く反映されています。
藤原さんは小学生の頃に彼らの音楽に出会い、衝撃を受けたと語っています。ブラックミュージック特有のリズムの取り方や、裏声(ファルセット)を多用する歌唱スタイルは、まさにEW&Fからの影響を昇華させたものです。
ソウルやファンクといった「踊れる要素」を、J-POPのフォーマットに落とし込む絶妙なバランス感覚こそが、ヒゲダン・サウンドの核となっています。彼らの曲を聴くと自然と体が動いてしまうのは、このルーツがあるからです。
ピアノポップの系譜とJ-POPの融合
ヒゲダンの音楽を象徴するもう一つの要素は、藤原さんの奏でるピアノです。ビリー・ジョエルやエルトン・ジョンといった、海外のピアノ・マンたちのスタイルを継承しつつ、スピッツやMr.Childrenといった日本のロックバンドのメロディラインを融合させています。
ピアノがリード楽器として楽曲を引っ張っていくスタイルは、ギター中心のバンドが多い日本のロックシーンにおいて、非常に新鮮に響きました。繊細なアルペジオから、パーカッシブな打鍵まで、ピアノ一台で豊かな表情を作り出します。
「コード進行の魔術師」とも称される彼らの楽曲は、音楽理論的にも非常に高度な構成になっています。しかし、それをあえて難しく聴かせず、あくまで「口ずさめるポップス」として提供する姿勢が、幅広い層に支持される理由です。
メンバー全員がリスペクトし合う高い演奏技術
ヒゲダンのサウンドを支えているのは、藤原さんの才能だけではありません。メンバー全員が高い演奏技術を持ち、お互いの音を最大限に引き立てるための努力を惜しみません。各パートが非常に凝ったフレーズを演奏しているにも関わらず、全体として調和が取れているのは驚異的です。
レコーディングにおいても、メンバー同士で納得がいくまでディスカッションを重ね、一音一音にこだわります。下積み時代から培ってきた「自分たちの音」を追求する姿勢は、メジャーのトップシーンに躍り出た今でも全く変わっていません。
「4人で音を出すことの楽しさ」が溢れ出ているからこそ、聴き手の心も躍らせることができるのでしょう。彼らの演奏を聴けば、単なるバックバンドではなく、一人ひとりが主役であるという強い個性を感じることができるはずです。
Official髭男dismの島根での結成と下積み時代がもたらした成功への影響(まとめ)
Official髭男dismの軌跡を振り返ると、彼らの今の成功は決して偶然ではないことがよく分かります。島根という地で出会い、地道なライブ活動を続け、社会人としての経験も糧にしてきた彼らの歩みは、非常に誠実で力強いものでした。
特に島根での結成エピソードは、彼らの原点が「純粋に音楽を楽しむ仲間」であることを教えてくれます。銀行員時代を含む下積み時代の苦労は、多くの人々の心に届く歌詞の深みを生み出し、過酷な遠征生活はメンバー間の揺るぎない絆を育みました。
また、ブラックミュージックやピアノポップをルーツに持つ独自の音楽性は、徹底した下積みの練習によって磨かれ、今や日本を代表するサウンドへと進化しました。彼らの音楽が持つ温かさや力強さは、島根の地から始まった物語の続きそのものなのです。
これからもOfficial髭男dismは、結成時の「髭の似合う歳になっても楽しむ」という言葉通り、私たちをワクワクさせる音楽を届けてくれるでしょう。彼らのルーツを知ることで、今まで聴いてきた名曲たちが、より一層深く、色鮮やかに聴こえてくるのではないでしょうか。



