2020年代に入り、音楽ファンの間で「ギターソロ不要論」という言葉が大きな話題となりました。かつてロックやポップスの華形だったギターソロが、現代のリスナーからは「スキップされる対象」になっているというのです。
この議論の真相はどこにあるのでしょうか。SNSでの論争からサブスクリプションサービスの普及、さらには最新のJ-POP制作現場の裏側まで、多角的な視点でこの現象を紐解いていきます。現代の音楽シーンがどのように変化し、ギターという楽器がどのような立ち位置に置かれているのか、やさしく解説します。
ギターソロ不要論の真相と2020年代のリスナー心理

2020年代の音楽シーンにおいて、ギターソロがいらないという意見がこれほどまでに注目されたのは、単なる好みの問題だけではありません。私たちの生活様式や音楽への接し方が劇的に変化したことが背景にあります。
2022年にSNSで沸騰した「スキップ」論争
ギターソロ不要論が社会的な関心を集めるきっかけとなったのは、2022年頃のSNSでの投稿でした。ある音楽関係者が「最近の若者はサブスクでギターソロが始まるとスキップして次の曲へ行く」といった内容をツイートしたことで、ネット上では賛否両論の嵐が巻き起こりました。
年配のファンからは「ギターソロこそが曲の最大の見せ場なのに」と嘆く声が上がった一方で、若い世代からは「歌がない時間は退屈」「早く次の展開に進んでほしい」というリアルな意見が次々と寄せられたのです。この論争はテレビやニュースサイトでも大きく取り上げられ、「ギターソロはもう時代遅れなのか?」という問いを突きつける形となりました。
しかし、真相を詳しく調査していくと、単にギターという楽器が嫌われているわけではないことが分かってきます。問題は「ソロ」という演出そのものが、現代のライフスタイルに合わなくなってきている点にあるのです。
音楽を効率よく楽しむ「タイパ」重視の視聴スタイル
現代のリスナー、特にZ世代を中心とした若年層の間では「タイパ(タイムパフォーマンス)」という考え方が浸透しています。限られた時間の中で、いかに効率よく満足感を得られるかを重視するこの価値観は、音楽の聴き方にも大きな影響を与えています。
サブスクリプションサービスによって数千万曲に即座にアクセスできる現在、リスナーは「自分にとって退屈な時間」を極端に嫌うようになりました。多くの曲をザッピングするように聴く中で、歌のない間奏部分、特に数十秒続くギターソロは「情報の密度が低い時間」と見なされてしまうのです。その結果、少しでも長く感じると即座にスキップボタンが押されることになります。
これは映画を倍速視聴したり、結末だけを先に確認したりする心理と共通しています。情緒的な余韻を楽しむよりも、まずは「何が起きているか(歌詞の内容やメロディ)」を素早く把握したいという欲求が勝っている状態と言えるでしょう。
ギターソロが「間奏(お休み)」と捉えられる理由
かつての音楽鑑賞は、レコードやCDを購入してじっくりと腰を据えて聴くものでした。そのため、中盤に用意されたドラマチックなギターソロは、物語の盛り上がりとして自然に受け入れられていました。しかし、スマートフォンの普及により、音楽は「何かをしながら聴く」BGMとしての側面が強まっています。
移動中や作業中に流れてくる音楽において、リスナーの意識は主に「歌声」や「歌詞」に向いています。そこへ急に楽器のテクニックを披露するソロパートが割り込んでくると、主役がいなくなった「待ち時間」のように感じられてしまうのです。また、現代の楽曲はテンポが速く、展開が激しいものが多いため、一息つくための間奏が逆に流れを止めているように聞こえることも要因の一つです。
ギタリストにとっては魂を込めた表現であっても、リスナーにとっては「歌詞の情報が途切れる区間」という認識のズレが生じています。この感覚の乖離こそが、不要論の核心にある真相の一つと言えます。
サブスク時代の到来が変えた楽曲制作のスタンダード

リスナーの聴き方が変われば、当然ながら音楽を作る側の手法も変化します。現代のヒットチャートを賑わせる楽曲には、ギターソロを含めた構成において、以前とは異なる戦略が組み込まれています。
イントロ0秒が当たり前?即座に心を掴む工夫
サブスクリプションのランキングで上位に入るためには、再生開始から数秒でリスナーを惹きつける必要があります。もし冒頭で「つまらない」と思われたら、その曲は二度と聴かれない可能性があるからです。そのため、最近のJ-POPではイントロを極端に短くしたり、いきなりサビから始まったりする構成が主流となりました。
かつてのギターサウンドと言えば、印象的なイントロのリフで始まって中盤にソロが入るという形が定番でした。しかし、今では「イントロすら不要」とされる風潮があり、その流れの中で間奏であるギターソロも削られる対象になっています。曲の全長も3分程度と短くなる傾向にあり、限られた時間の中にギターソロを詰め込む余裕がなくなっているという制作現場の事情も存在します。
楽曲全体がコンパクトに、そして常に刺激的であることが求められる今の時代、長い楽器ソロは「贅沢すぎる無駄」として扱われてしまう側面があるのです。
【近年のヒット曲の傾向】
・イントロの平均秒数が1980年代の約20秒から、現在は5秒以下へと大幅に短縮されています。
・曲が始まってから歌が始まるまでの時間が短いほど、スキップ率が下がるというデータも存在します。
歌声を聴きたい!徹底したボーカル至上主義の台頭
現在のJ-POPシーンでは、ボーカリストの個性がかつてないほど重視されています。ボカロ文化の隆盛や、歌い手出身のアーティストが増えたことで、リスナーは「超絶技巧の歌唱」や「共感できる歌詞世界」を第一に求めるようになりました。この「ボーカル至上主義」が、ギターソロの居場所を狭めている要因となっています。
ギターソロが鳴っている間は、ボーカリストの歌声が止まります。熱狂的なファンにとって、その時間は「推しの声が聴けない時間」に他なりません。特にTikTokなどのSNSで楽曲が拡散される際、注目されるのはダンス動画に合わせやすいリズムや、印象的なフレーズの歌詞です。楽器だけのインストパートは動画の素材として使いにくいため、必然的に制作の優先順位が下がってしまうのです。
歌を最大限に際立たせるための引き立て役に徹することが、現代のギターサウンドに求められる役割になりつつあります。ソロを弾くよりも、歌の隙間でいかに気の利いたフレーズを挟むか、という職人芸的なアプローチが重要視されています。
打ち込み(DTM)サウンドと生楽器のバランス変化
楽曲制作の環境が、スタジオでのバンドレコーディングから、パソコン一台で完結するDTM(デスクトップミュージック)へと移行したことも大きな理由です。現代のヒット曲の多くは、緻密に計算された打ち込みサウンドをベースに構成されています。
DTMでの制作において、ギターソロのような「人間による生々しい即興演奏」は、楽曲全体の整った質感から浮いてしまうことがあります。また、シンセサイザーやサンプラーを使えば、ギター以上に派手でキャッチーな音を簡単に作り出すことが可能です。その結果、かつてギターソロが担っていた「楽曲のハイライト」という役割を、シンセのフレーズやドロップ(盛り上がり)が奪ってしまったのです。
ギタリストがいなくても高いクオリティの曲が作れるようになった現在、あえてギターソロを導入するには、それ相応の「必然性」が求められるようになりました。なんとなく定番だからという理由でソロを入れる時代は、完全に終わりを迎えたと言えるでしょう。
J-POPシーンにおけるギターソロの現状と意外なデータ

不要論が叫ばれる一方で、日本の音楽シーンを見渡してみると、実はギターソロが完全に消滅したわけではないことが見えてきます。そこには、日本独自の音楽文化や新しい表現の形が隠されています。
実は人気曲にもソロはある?ヒットチャートの分析
驚くべきことに、ビルボード・ジャパンなどのヒットチャートを詳しく分析してみると、上位に入る楽曲の多くには現在でもギターソロが含まれています。特にバンド形態のアーティストや、ロックの要素を取り入れたポップスにおいては、依然としてギターソロは重要な構成要素です。
ただし、その「形」は確実に変化しています。かつてのような1分近い長尺のソロは姿を消し、8小節から16小節程度の非常にコンパクトなものが主流となりました。また、ソロの中にもボーカルのフェイク(崩した歌唱)が重なっていたり、コーラスが入っていたりと、リスナーを飽きさせないための工夫が凝らされています。
「ギターソロがなくなった」のではなく、「ギターソロの定義が変わり、曲に馴染むようになった」と捉えるのが正解かもしれません。不要論が過熱したのは、あくまで一部の極端な事例や象徴的な意見が一人歩きした結果、という側面も強いのです。
日本のリスナーは、世界的に見てもメロディアスなギターサウンドを好む傾向にあります。そのため、完全にゼロになることは考えにくく、形を変えながら存続していくでしょう。
ヒゲダンやKing Gnuに見る「魅せるソロ」の技術
現代のJ-POPを代表するアーティスト、例えばOfficial髭男dismやKing Gnuといったグループは、非常に高度なギターソロを楽曲に取り入れています。彼らの楽曲が支持されている理由は、ソロが単なる技術誇示ではなく、楽曲の感情を増幅させる「第二のメロディ」として機能しているからです。
Official髭男dismの「Cry Baby」などの楽曲では、複雑なコード進行に合わせて緻密に構築されたギターソロが登場します。これらは、リスナーがスキップしたくなるような「退屈な間奏」ではなく、曲のボルテージを最高潮に導くために不可欠な要素として組み込まれています。また、King Gnuの常田大希氏のように、独創的な音作りとフレーズで、ギターをアイコン(象徴)として機能させている例も目立ちます。
こうしたトップランナーたちの活躍は、ギターソロが「カッコいいもの」として再定義されるきっかけを作っています。不要論という逆風の中でも、圧倒的なセンスと実力があれば、ギターソロは最大の武器になり得ることを彼らは証明しているのです。
15秒でバズることを意識したTikTok仕様のフレーズ
短尺動画アプリのTikTokがヒットの起点となる現代では、楽曲のどこを切り取っても「映える」ことが求められます。ギタリストたちも、このトレンドを無視することはできません。最近では、15秒から30秒という短い時間の中で、いかにインパクトのある音を鳴らすかに焦点が当てられています。
そのため、流麗な速弾きよりも、一聴してその曲だと分かるような「キャッチーな音色」や「中毒性のあるリフ的なソロ」が増えています。これは、視覚的なパフォーマンスとの相性も重視されており、演奏している姿を動画に収めた時にカッコよく見えるような動きやフレーズが意識されているのです。
音楽が「聴くもの」から「体験し、共有するもの」へと変わったことで、ギターソロもまた、SNSでの拡散を前提とした新しい形へと進化を遂げています。これを不要論の進行と見るか、あるいは適応と見るかは意見が分かれるところですが、時代のニーズに応えようとするギタリストたちの工夫が見て取れます。
アーティストやギタリストたちが抱く危機感と期待

ギターソロ不要論という言葉が独り歩きする中で、実際に現場で音を鳴らしているミュージシャンたちはどのような思いを抱いているのでしょうか。そこには複雑な葛藤と、未来へのポジティブな展望が共存しています。
表現の幅が狭まる?ベテラン勢が懸念する未来
長年シーンを支えてきたベテランミュージシャンや、ギターをこよなく愛するファンの間には、強い危機感があります。ギターソロは単なる演奏パートではなく、言葉で表現できない感情を音に託す、音楽の重要な「語り」の部分だと考えているからです。
効率ばかりを求めて間奏を削ぎ落としていけば、楽曲の持つ深みや物語性が失われてしまうのではないか。そうした懸念は、多くのアーティストから表明されています。例えば、T.M.Revolutionの西川貴教氏はSNSでこの問題に触れ、「表現の自由が効率によって制限されること」への違和感をにじませました。ギターソロという、ある種「無駄」に見える遊びの部分にこそ、音楽の魔法が宿っているという信念を持つ人は少なくありません。
すべてが消費しやすい形に整形されていくことへの抵抗感は、音楽という芸術を守りたいという切実な願いの表れでもあります。彼らにとって、ギターソロ不要論は単なるトレンドの問題ではなく、文化の衰退に対する警告として受け止められているのです。
楽器を弾く楽しさを伝える「新世代ギタリスト」の挑戦
その一方で、デジタルネイティブ世代のギタリストたちは、不要論を逆手に取った新しい活動を展開しています。YouTubeやInstagramを舞台に、超絶技巧を凝縮した数秒の動画を投稿し、世界中から数百万のフォロワーを集めるアーティストたちが次々と現れています。
例えば、Ichika Nito氏のように、ピアノのようなタッピング奏法を駆使してギターの新しい可能性を提示するプレイヤーは、既存のギターソロの枠組みを軽々と超えていきました。彼らにとって、ギターはもはやロックの象徴ではなく、「最高にクールな音が出る最新のデバイス」に近い感覚かもしれません。歌がなくても成立するインスト曲の分野では、ギターは以前よりもずっと自由に、そしてテクニカルに進化を続けています。
彼らの投稿を見た若者たちが「自分もこんな音を出してみたい」とギターを手にする現象も起きており、ギターという楽器自体の人気が衰えているわけではないことが分かります。形を変えて、ギターの魅力は新しい世代に確実に受け継がれているのです。
ライブ会場でしか味わえない「生演奏」の圧倒的価値
サブスクでスキップされるという現状があったとしても、ライブという場所においてはギターソロの価値は依然として絶大です。スマートフォンの画面越しではなく、ステージ上でスポットライトを浴びて奏でられるソロは、観客のボルテージを一気に引き上げる力を持っています。
ライブは「効率」を求める場所ではなく、その瞬間の「熱量」を共有する場所です。楽曲の途中でギタリストが前に出てソロを弾き始めれば、会場からは大きな歓声が上がります。この時、リスナーはタイパのことなど忘れ、目の前で繰り広げられる人間味あふれるパフォーマンスに没入しています。「音を浴びる」というフィジカルな体験において、ギターソロは今もなお最強のコンテンツなのです。
制作側も、音源ではソロを短くしつつ、ライブでは長尺のアレンジで見せる、といった使い分けをするようになっています。録音物としての音楽と、体験としての音楽。この二つのバランスの中で、ギターソロは生き残る術を見出していると言えるでしょう。
ギターソロの未来予想図と新しい音楽の形

これからの音楽シーンにおいて、ギターソロはどのような道を歩んでいくのでしょうか。不要論を超えた先にある、2020年代後半以降の展望について考えてみましょう。
「ソロ」から「リフ」や「音色」への役割の変化
今後のJ-POPにおいて、ギターは「1人で目立つ」という形から、楽曲全体の「テクスチャー(質感)」を決定づける存在へとシフトしていくと考えられます。歌の裏で鳴り続ける印象的なリフや、一瞬で耳に残る特徴的なノイズなど、アンサンブルの一部としてのギターの重要性はむしろ増していくでしょう。
ソロパートという独立したセクションを作るのではなく、曲全体にギターの美味しいフレーズを散りばめるような構成がスタンダードになります。これは「ギターソロの溶け込み」とも言える現象です。リスナーはそれがソロだと意識することなく、ギターが奏でる美しい音色を心地よく受け入れるようになります。楽器としての個性を保ちながら、ボーカルやリズムとより密接に融合することで、不要論そのものを無意味にしていく進化が期待されます。
また、エフェクターを駆使した未知のサウンド作りもさらに進むでしょう。ギターで鳴らしているとは思えないような不思議な音像は、耳の肥えた現代のリスナーにとっても新鮮な驚きを与え続けてくれるはずです。
AI技術の発展と人間臭いプレイの再評価
音楽制作にAI(人工知能)が本格的に導入される時代において、完璧に整った正確な演奏はAIが得意とする分野になります。そうなった時、改めて価値が見直されるのが、人間特有の「揺らぎ」や「ミス寸前の緊張感」を孕んだ生演奏です。
ギターソロは、プレイヤーの感情がダイレクトに音に出るパートです。指先の震えや、力加減による音色の変化、そして計算ではない偶然が生む奇跡のようなフレーズ。これらはAIには代替不可能な、人間らしい表現の極致です。未来の音楽シーンでは、デジタルな完璧さへの反動として、こうした「生身の人間が弾いている感覚」がより一層求められるようになるでしょう。
「効率」の対極にある「情熱」の象徴として、ギターソロが再評価される日はそう遠くないかもしれません。不器用で、でも温かい。そんな人間味のあるギターソロが、冷たくなりがちなデジタルサウンドの中で輝きを放つ未来が予想されます。
ギターソロは「絶滅」ではなく「洗練」のフェーズへ
結論として、ギターソロが音楽シーンから完全に消え去ることはありません。私たちが目にしているのは絶滅の過程ではなく、過剰な様式美を削ぎ落とし、より純度の高い表現へと進化する「洗練」の過程なのです。
かつてのギターソロが「お決まりのルーティン」だったのだとすれば、これからのソロは「本当に必要な時だけ現れる特別な瞬間」になります。曲の構成上、どうしてもそこになければならない。そんな高い必然性を持ったソロだけが残り、リスナーの心に深く刺さるようになります。スキップされることを恐れるのではなく、スキップする指を思わず止めてしまうような、そんな魅力的なサウンドが次々と生まれてくるでしょう。
音楽の歴史は、常に新しいものと古いものが衝突し、混ざり合いながら進んできました。ギターソロ不要論という激しい議論も、数年後には「あんなこともあったね」と笑い合える、音楽進化のひとつのエピソードとして記録されているはずです。
【これからのギターの在り方】
・短くてもインパクトのある「インスタント・フック」の追求
・ライブでの即興性を活かした「体験型」ソロの強化
・他の楽器や電子音との境界線を越えた「ハイブリッド」な音作り
まとめ:2020年代の音楽シーンとギターソロ不要論のゆくえ
2020年代に巻き起こった「ギターソロ不要論」の真相を探っていくと、それは単にギターが嫌われているのではなく、私たちの音楽の聴き方が「タイパ重視」や「ボーカル至上主義」へと激変したことの現れであることが分かりました。
サブスクリプションサービスの普及によって、イントロや間奏がスキップされやすい環境になったのは事実です。しかし、その一方でJ-POPのヒットチャートには、今も形を変えながら印象的なギターソロが息づいています。Official髭男dismやKing Gnuといったアーティストは、新しい時代のセンスでギターの魅力を再定義し、SNS世代のギタリストたちは驚異的なテクニックを世界に発信し続けています。
ギターソロは今、かつての様式美から解き放たれ、より自由で洗練された表現へと生まれ変わろうとしています。ライブというリアルな場での圧倒的な価値も失われてはいません。効率化が進む現代だからこそ、人間味あふれるギターの音色が私たちの心に必要な「潤い」として、これからも音楽シーンを彩り続けていくことは間違いないでしょう。


